ACT3 学科決定(人生最大のピンチ)
東北大学は、1年生の成績で、2年以降の学科が振り分けられる仕組みでした。
建築学科に決まっていなかった私ではありましたが、友達の紹介で1年生のときに地元のN建設で模型づくりのアルバイトをすることになりました(これも、流れか・・と相変わらず・・)。これが、N建設との腐れ縁の始まりになろうとは・・。
このころのN建設の専務は変わり者という言葉がぴったりの人でした。
組織の人間というよりは、自由に行動しているし、面白い人脈も多く、アルバイトの私をいろんな人に会わせてくれたり、いろんな勉強会にも参加させてくれた。
実は、学生の時代から、今、お付き合いしている多くの人(鎌田先生・西方設計さんなど)とは面識もありました。そういう意味で、「流れとしては間違いないのだろう」・・と思い込んでアルバイトをしていました。
こういう感じで1年間、ろくに勉強もせず、アルバイトとサークル遊びで過ごした私にとって、人生最大の危機が1年生の最後におとずれました・・。
1年生での20個近い授業のうち「成績A」が2個しかなかったのです。代返やカンニングで授業や試験をくぐってきたのだから当然といえば当然でしたが、ひどい結果にしばし呆然・・。
建築学科が、例年、人気の学科で、倍率は1.5倍前後を示す・・ということを初めて聞かされました。
事務局の方に「Aが2個の成績では無理ですよ。毎年、A7個でギリギリです」・・と言われても当然なのでした。
<希望学科の事前予備調査 結果発表の日・・>
希望学科予備調査の結果を見て、私は、開いた口がふさがりませんでした
・・( ̄O ̄;;;)
建築学科は、例年以上の人気ぶりで2倍を超えて、1番の超難関学科になってしまいました(がーー;ん)。
私は、一度、退学して、入学し直そうか・・・とも考え、友達に相談・・。
ただ・・、退学して、すぐに入学できる保証もない・・(--;)。
この1年間で、受験勉強時期の脳みそは、既に退化している・・。
3年生の時に学科を変更できる試験がある・・という情報を入手して、手続きの方法を事務局で聞いても、
「まだ、学科も決まってないのに、そんなの説明する必要もないでしょ」・・をあしらわれ・・
(そりゃそうだ・・)
悶々とした日々を過ごしてました。
友達からは、「第1志望で滑ったら、第2・第3も定員に達してて、第10志望まで一気に滑ることもあるから、無難な学科で志願したら・・」とアドバイスされました。
それでも、建築しか進むつもりはなかったので、
「ああ・・1年間、ちゃんと勉強すればよかった・・(;_;)」・・と、ちょ~後悔しました。
<希望学科の本申込みの日・・>
私は、腹を決めて・・
第1志望欄に、「建築学科」と・・枠からはみ出るくらいの大きさで記入し、
第2志望~第10志望までは、虫眼鏡で見ないとわからないくらいの大きさで、
適当に学科を並べて提出しました。
それから学科発表までの約1週間・・
私は、人生設計の見直しを迫られ・・、「将来、何をしようか」・・「退学しようか」・・と考えたり、3年生の時に学科を変える試験の方法を調べたりして日々を過ごしてました。
<学科、発表の当日・・>
私は、まわりが喜んでいる中で、がっかりするのが怖かったので、友達に見に行ってもらって、自分は自宅でテレビを見ていました。
夕方ちょっと前だったと思います。
自宅の電話が鳴りました。
多分、友達だな・・と思い、ドキッとはしながらも、結果は見えているので、重たい気分で受話器を取りました。
やはり、掲示板を見てくれた友達でした・・。
友達 「白鳥・・、あのさ・・白鳥の名前が 建築学科に載ってるぞ・・」
私 「・・ウソだ。 またまた、俺を喜ばせようと思って、ウソついてんだろ!」
(よく、騙されたりもするので、こんな時まで・・という思いで言いました。)
友達 「ここで、そんなウソついてどうすんだよ・・」
私 「ありえないよ・・」
友達 「俺も、そう思ったんだけど、実際、書いてあるんだから・・。
ウソだと思うんなら、自分で掲示板、見に来たらいいさ・・」
私は、急ぎ、大学へバイクを走らせました。
大学に到着・・
掲示板の前・・
深呼吸・・
目を疑いました・・。
頭が真っ白になりました・・
なんと・・私の名前が建築学科に載っていたのです・・。
別な意味で血の気が引きました・・。
あとで知ったのですが、予備調査であまりにも建築学科の倍率が高く、多くの人があきらめて敬遠し、なんと、建築学科が「歴史上初めての定員割れ」だったのだそうです。
「これも流れなのだろうか」・・。私は九死に一生を得ました。
「人生の方向が間違っていないのだろう」・・と強く思う瞬間でもありました。
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