昨日、陸前高田に打ち合わせに行ったとき、
たまたま・・とある団体さんで、Yoさまの津波体験を聞く機会があるというお話を聞き、急きょ、私も参加させていただきました。
この写真は、Yoさまが最後に助かった建物です。
屋上のさらに小さな煙突の部分に青い看板が見えますが、その看板の赤いラインが津波到達地点・・。
Yoさまは、最後にあの煙突に乗って、ぎりぎり命をつないだそうです。
ここからの写真では・・いまいち、その恐怖感は十分に伝わりません・・。
この写真は、津波によってものが流れ込んだ一部屋を、あまり片付けない状態で、あえてそのままにしたスペースです。
つなみで、大量のがれきが押し込まれた様子が伺えます。これでも、大きいものは自衛隊の皆さんが除去したそうです。
Yoさまは、この建物に逃げ込んで間もなく、津波が近づいてていることをしり、一目散で屋上まで駆け上がりました。
下から津波がどんどん来ている恐怖感を感じながら、階段を駆け上がって行ったそうです。
下の写真は屋上の出口ですが、いつもは簡単に開くはずのドアが、押しても押しても開かず、わけがわからないまま、必死で扉を押したそうで・・、
迫りくる津波に焦りながら必死に扉を押し続け、ちょっとした隙間が空いた瞬間・・ものすごい風が入り込んできたそうです。
津波と一緒に、扉があかないほどの暴風が襲っていたのでした。
ようやく屋上に出ると、津波はすでに屋上の高さまで近づいていたそうです。
つまり、この風景の全部が濁流の下になった状況です。
まずい!・・と感じて、Yoさまはさらに上の搭屋へ梯子を伝って登り始めます。
搭屋左のハシゴを昇っている途中で、津波は屋上を飲み込んだそうです。
30秒・・20秒・・扉があかなかったら、津波に飲まれていた状況でした。
さらに、その搭屋に上っても、津波は高くなってきたので、最後の逃げ場として、畳1/4程度の広さの煙突の上に上りました。
手の大きさを見ていただくとわかりますが、人、1人がギリギリ乗れて、すがるものがないスペースです。
そのわずかなスペース・・・写真のような格好で昇りました。津波の濁流、激流は、足元まですぐに来ました。
そこから見る風景は・自分以外・・写真の陸地部分が、すべて濁流・激流に飲み込まれて、四方すべてが津波の状態です・・。
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この風景も津波の底・・
この風景も津波の底・・
この風景も津波の底・・
この風景も津波の底・・
見える風景は、地獄だったと思います。
その恐怖感は、未体験の私の想像の範囲を超えています。
このスペースが、この高さになかったら・・
津波は、外からの映像で見ることが多いですが、実際の命をつないだ話を聞き、その場に立ってみると、その恐怖感は本当に増します・・。
記憶から、徐々に薄れる東日本大震災ですが、
あらためて、次への備えの意味でも、こういう話はつながなければいけないと感じました。
ホームページリニュアルのブログの最初の記事が、震災記事でよかったような気がします。
今、続けている震災支援を改めて大切だと感じました。