ACT9 偶然がかさなり、家づくりという「流れ」へ・・。
RC造の小学校の現場も、「いろいろなエピソード」と「私の新たな成長」という思い出を残して、無事、春に竣工しました。
その年、N建設は「役所工事に頼りすぎている体質」を改善する目的で住宅部門を立ち上げる方針を打ち出しました。
私は、大きな箱もの建築より住宅をやりたいなぁ・・という思いもあり、その部署に希望を出して配属させてもらいました。
しかし、ゼネコンに家づくりを依頼する・・というのは敷居が高いのか、新築の受注の見込みもない前途多難な船出でした。数ヶ月間小さな改修工事の経験をしたのち、運命の展開がまたも訪れてきたのです。
その年の秋ごろに、ウッチ―さん(仮称)から ご実家が家を建てるといことで、N建設に相談があったのです。
これも、偶然なのですが、ウッチ―さんは私がN建設でアルバイトする直前まで、そこでアルバイトをしていた「N建設アルバイト組 腐れ縁」の1人なのです。
そして、ウッチーさんは、東北大学建築学科という私の先輩でもあり「東北大学建築学科の腐れ縁」でもありました。
そのウッチ―さんが設計事務所として独立することとなり、その第1号の住宅がご両親の家で、その工法が新在来木造構法だったのです。
初めてウッチ―さんが建築予定の住宅説明にN建設に来たとき、私とウッチ―さんとは実は初顔合わせでした。腐れ縁がいろいろあり、名前とエピソードは5年ほど前から聞くことはありましたが・・、機が熟したのか・・ようやくの顔合わせ・・となりました。
ウッチーさんは、これから始まるご実家の家づくりについて、「構造」や「高断熱高気密」の説明をとくとくとして、「これからの時代の住宅だと思います」と力説しました。私は、その住宅の説明を聞いているうち、無性に「この現場をやりたい」という思いに駆られました。
強烈な「流れ」を感じたのです。
翌日の住宅事業部でのミーティングで、私は、この現場をやりたいという「やる気」と「オーラ」と「目ぢから」を、当時の上司であるS工事長に出しました。誰が見ても、「私がやりたい」という・・・
「やる気満々」の雰囲気を醸し出しながら・・(^^;)。
ところが・・、
数日後のS工事長から言われたのは・・、
別の人が、Uさま邸の現場担当で、私は、小さい営繕工事担当という指示でした。
2年目という経験値を考えられたのか・・あまりにもあからさまに「やりたい」というオーラを出し過ぎたからなのか・・理由はわかりませんでしたが、肩透かしをくらった感じになり大きなショックを受けました。
E工事長だったら・・やる気を尊重して、違う判断をくだしてくれただろう・・と思うほど、そのときのショックは何故か今でも覚えているほどでした(;_;)。
私は数日間、腑抜けた状態で、次の営繕工事の準備をすることとなり、未練たらたらで悶々と日々を過ごしていました(--;)
・・ところがどっこい・・「捨てる神あれば拾う神あり」です。
Uさま邸(ウッチーさんおご実家)新築工事の地鎮祭2日前のことです。
私が担当するはずだった小さい営繕工事が、なんとドタキャン!。
・・と同時に、Uさま邸を担当する予定だった人の現場で、重大なトラブル発生で、
その処理に数週間の日数が掛かる!
・・という事件が、なんと「同じ日」に起きたのです。
このびっくりするような「大どんでん返し」で・・、
Uさま邸の地鎮祭の現場に立っていたのは・・
なんと、私なのでした・・(^^;)。
やっぱり、感じた「流れ」は正しかった・・。
私は、そのとき、強く思いました。
これが、新在来木造構法、そして新住協との長い付き合いになろうとは・・。
*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます*