ACT15 N建設を卒業する「流れ」到来
N建設がこのように旧体質から抜け出せない状態で、O君はホトホト嫌気がさしていました。こんな会社に誘い込んでしまった私も申し訳なく思い、これも「流れ」なら、俺もそろそろ潮時なのかなぁ・・と感じ始めました。
そんなとき決定的な事件がおきます。
夏のボーナスの時にはっきりしたのですが、O君の年収がどう計算しても約束した額よりはるかに低いのです。どこで話が伝わってないのか追求する気にもなれず、O君は退社を決意。私も初めて営業した現場を終えたら退社することを決めました。
ときは、1997年の秋。日本はサッカーワールドカップ予選で、ボロボロに状態に陥り、出場不可能とまで言われたときでした。
1997年は日本のサッカー界にとって重要な年でもありました。
日本がワールドカップに初出場できるか・・。4年前のドーハの悲劇を超えられるのか・・。次のワールドカップは日韓で開催されることは決まっており、「ワールドカップに出場したことのない国でワールドカップを開催するなど前代未聞」とまで言われ、そのときのフランスワールドカップへの出場は厳命みたいな状態でした。
そんな使命を背負って臨んだ予選でしたが・・、
日本代表はホームスタジアムの国立競技場で、ライバル韓国に残り15分でまさかの逆転負け・・・。
そこから歯車がくるって、立て続けに勝てる試合を落とし続け、当時の監督であった加茂監督が更迭・・・。
代わって指揮を執るのが、監督経験の全くない「岡ちゃん」という、ボロボロの状態でした。
1997年の暮れ...
日本は自力でのワールドカップ出場の可能性が無くなり、他国の結果と日本は1敗もできない・・という条件の中にいました。
その時点で、日本がワールドカップには出れると信じていた人は、10人に1人・・いや・・20人に1人だったかもしれません。
私は・・そんな20人の中の1人・・・でした。
作り話のように聞こえるかもしれませんが、当時の忘年会などで、私はウッチーさんや会沢さんなど新住協メンバーとこんな会話をやり取りしていました。
ウッチーさん・会沢さんなど・・「会社を辞めて次はどうするの?」
私 「さぁ・・。とりあえずフランスにサッカー見に行っていると思います。」
みんな 「はあ!? 無理だよ。今の状態から日本は絶対ワールドカップに出れないよ!」
私 「ん~・・。でも・・、多分・・・、日本はワールドカップに出れると思いますよ・・。」
みんな 「無理無理!絶対に無理! なんで、そんなに自信があるの?」
私 「だって・・、日本がワールドカップに出れて、4月に現場がちょうど終わって、俺が5月で退社し、6月にフランスにいる・・という流れを感じるんですよねえ・・。」
みんな 「・・・」
にわかには信じられない会話だと思うでしょうが、これが、本当の会話なのです。
退社を決意し、日程を計算すると不思議にいろんな事が一致していたのです。
初めて営業して受注した現場は、翌年の4月に竣工予定。残業務を整理しても5月には退社・・。すると、6月に俺はフランスにいるのかな・・?と、勝手に日本はワールドカップに出れるという確信めいたものが脳裏に浮かんでいたのです。
さらに流れは加速していました。かなり前に、棚上げになっていたリフォームのお客さまが、わざわざ会社の私を訪ねてきて、「やっぱりリフォームします」・・と言うのです。
「いつころの工事になりますか?」と尋ねると、「来年の4月くらいには終わらせたい」。
偶然の一致なのだろうか・・。「流れ」なのだろうか・・。
初めて就職した会社を辞めるのは、精神的に大きなパワーが必要になります。このタイミングでワールドカップが開催されること自体、不思議な縁だと感じていましたし、そのワールドカップを観に行くということが、私に退社への勇気を与えてくれていました。
その後、日本は神がかり的な追い上げを見せました。
息の根がとまるかと思われた負け試合で、 終了間際のまさかの「空振りシュート棚ボタゴール」で首の皮1枚つながり・・。
ワールドカップ出場を競っていたUAEが格下チームにまさかの引き分け。
この試合も神がかり的で、当時の映像を見ると分かりますが、UAEのシュートがことごとくポストとクロスバーに当たって入らないという内容でした。多分、約10本・・通常ではありえない数のシュートがポストやクロスバーを叩いていました。
そして、日本が強敵韓国にアウェーでまさかの勝利!。まさかまさかの韓国戦の勝利により、
日本はUAEに競り勝ち、「第3代表決定戦」へ駒を進めるという・・・ありえないような展開で奇跡を起こそうとしていました。
ワールドカップ予選、最後の試合。対イラン戦(当時はアリ・ダエイなどヨーロッパで活躍する選手が多くいる強敵中の強敵です)・・。
私は、実家のテレビで一人で見ていました。
深夜のキックオフです。
「それまでの流れが間違っていなければ、この試合は絶対勝つはず。俺に運とパワーをくれ」・・と祈って観ていました。
試合は、延長戦のVゴール方式に突入(ゴールした瞬間に試合終了方式)・・。
日本は、東南アジアの暑さのため、足が止まりはじめ攻め込まれます。
アリダエイのゴール前3mくらいのシュートがポストすれすれで外れて、九死に一生を得る形で延長後半へ・・・。
ここで、岡ちゃんがまさかの采配!。
今までほとんど出場していなかった、超俊足、岡野を投入!。
高速で走る岡野に、当時の司令塔 中田が何度もスーパーパスを供給して、チャンスを演出!
足技がいまいちの岡野でも、ピッチ上で全員が疲労していると、こんなにも輝くものか・・と思わせるほど凄いスピード差!
・・・そして、あの歴史的な瞬間がおとずれました・・・
中田のシュートをイランのキーパーがギリギリではじく・・ビッグセーブ!。
しかし、そのこぼれ球に、いち早く反応したのは・・・、ピッチ上で一番疲れていない岡野・・
スライディングしながら、そのボールをイランのゴールマウスの中へ、ズドン!!
世の中の「時」が 一瞬 止まりました
次の瞬間
私は、ありったけの声で「うぉぉぉぉぉおぉぉぉ」・・・おたけびをあげていました。
力いっぱいのガッツポーズを何度も何度もとっていました。
涙を流していました。
深夜の田舎で です。
みっともない話ですが、サッカーに興味のない近所の人が、「何かあったのか?」と深夜に訪ねてきました。
私の感じた「流れ」は、間違っていなかった・・と強く思った瞬間でした。
*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *