ACT17 「創業40年にして初」
辞表を出してから約10日後、私はようやく社長室で直接お話をさせていただいき、退社を認めてもらいました。
次は退職金の算定についてのお話になるだろうという予想のもと、私は、「値切らないで」と心の中で祈ってました。
たった5年なのでそんなに貰えないことも分かっていたので、フランスワールドカップの旅行代の半分にはなってほしい・・という切実な思いでした。
しかし、社長から出た言葉は、耳を疑うような信じられない話だったのです。
(N建設の社長の話)
「この会社は私が創業してから40年経つ。その間、仙台市や宮城県の箱モノを中心に建設業界で頑張ってきた。
ただ、時代の流れもあり、そろそろこの会社の社会的役目も終わりなのかと感じている。
そこで相談なのだが...、
実は、創業40年の中で一度たりとも人員削減をしたことがなかった我が社だが、次回の全体会議で、社歴始まって以来、初めて希望退職者を募りたいと考えていたところだったんだ。
これは専務とも話をしていて、ゆくゆくは会社を閉めようと考えている。
・・・・・・・
そこでだ。
白鳥君、次の全体会議で、この発表をしたときに、即決できる人をその場で聞こうと思う。そのときに率先して手を挙げてくれないか...。
そこから1週間以内に決めてもらった人には退職金を予定の3倍支払うつもりだ。
もちろん白鳥君にもだ。」
私は、ぽかーん・・としてしまいました。
頭の中で事態を整理して、冷静さを保つのに必死だった記憶があります。
N建設が、創業以来、初めての人員削減を次の全体会議で発表する予定だったのです。
私は希望退職者を募る先導役という役目を任されて、退職金を値切られるどころか3倍もらうことになったのです。
(N建設は、その2年後に黒字のまま幕をおろしました。きれいな身の引き方だったと・・今は思います。従業員の次の就職先もほとんど斡旋したしたそうで。)
翌週の全体会議のとき、予定通り社長からの緊急重大発表がされました。
当然ですが、社内全体が静まりかえりました。
「この時点で即決して手を挙げる人はいないか?」・・の社長の問いかけに、
私は、少し悩んだ演技をして、ゆっくり手を挙げました。
「おぉ、白鳥君は決断してくれたか・・。」
この、へたくそな茶番劇に若手社員からはニヤニヤという視線が私に降り注がれました。
そして、旅行ローンでフランスに行く予定だった私は、無借金でフランスワールドカップを見に行くことになったのです。
40年間という長い年月で初めての人員削減のタイミングが、私の退職願いとドンぴしゃりだったことで、私は、この「流れ」が間違いなかったと確信しました。
N建設に居たのはたった5年間でしたが、なんだか10年以上居たと思うほどの経験をした気がしています。いい事もいやな事もありましたが、選択は間違っていなかっただろうということだけは思っています。
そして、5年間のN建設時代の仕事で私が自分なりに得た「哲学」は、
「10期待されたら、12で応える」
ということでした。この姿勢は今でも貫いているつもりですが、体力の衰えとともに「もっと頑張んなきゃ!」と反省もする日々です(^^;)。
この哲学は、自分に さらなる高いハードルを与えてくれます。
マンガでも、講演でも、執筆でも、もちろんプランニングでも、12で応えれれば、次のまたいろいろな高いレベルの依頼が来るのです。
そういう意味で、自分の実力を上げるには非常に便利な考え方だなぁと肝に銘じております。
フランスには2週間いましたが、ここでも、信じられない不思議はありました。2人の人物と不思議な出会い方をしたのですが、その人たちとは、今のところそれ以降の人生でのかかわりはありません。いつかどこかでばったり再開しそうな予感がするくらい、フランスでの出会いは不思議で強烈なものでした。今回は、それについては書かないでおきます。
その後、私には休む暇もなく 新しい「流れ」が訪れるのです。
*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *