ACT 34 岩手拠点の「流れ」が加速度的に動き出す
新会社のはじめての物件がHAさま邸という・・何故か岩手県での仕事となりました。
岩手県にはつくづく縁があるなぁ・・と感じ始めていたころ、北上市の拠点となるアパートの家賃を出してくれる業者さんも3社ほどあっさり見つかり、岩手に戻るという「流れ」は少しずつ強くなってきました。
将来の期待料ということで1年間の期限付きでアパート代を援助してもらうことになりました。
私は10月・11月・12月と3軒の現場を引き渡し退社する時期が近づいていました。
Cホーム最後の現場は、Cホームに入社して最初に知り合ったお客様Fさんです。これも何かの運命だったのでしょうか・・、不思議なものです。
この残り3ヶ月の間で私にとって岩手への流れが加速し、さらに人生を左右する事件が起きました。
それは、10月に引渡す現場での出来事です。
私は1人で竣工検査をしていました。
私が2階の吹き抜け付近を検査中だったとき、1人の見知らぬ人が、きょろきょろと物色しながらリビングに入ってきたのです。何のあいさつもなく入ってきたので、お施主さんの親戚の方かな・・と思い、すぐ1階におりて「お世話さまです」とあいさつをしました。
するとその人は「どちらさまですか?」と私に聞いてきたのです。
私は慌てて 「あ、この現場の設計と現場管理をしました白鳥と申します。」
するとその人(A)も慌てて・・、
A 「あ!そうでしたか!すみませんでした。私、カーテン屋の菅原と言います。」
私 「・・・」
私の心の中(普通・・、カーテン屋さんなら、そちらから名乗るだろうに・・。)
初めて入ってきた現場で、その現場担当に「どちらさまですか?」と聞くとは変わった人だ・・と思いました。
そんな変な女性は・・、現在は・・、私のかみさん・・なのです。
変な人だと思いましたが、そのときは、山口智子に似た美人さんだとも思いました。(・・と、書いておきましょう)
Cホームに居たときも多少色事っぽい話はあったのですが、これも私のいつものパターンで、2~3回くらい偶然に出会ったりなどの出来事が重ならないと、きっと縁がないんだろうな・・とあきらめも早かったのです。結局、美人さんの多い岩手県で、パートナーを見つけないまま仙台に戻るのか・・と半ばあきらめていました。
これ以上、かみさんのことを書くと、果物ナイフで背後から刺されそうなので終わりにしますが、岩手を離れる最後の最後で偶然が重なることが多い人に出会ったことで、私は、ますます岩手に戻ってくる流れだろうか・・と思ってしまいました。
かみさんには、その後、私が再独立するタイミングで非常に救われることになるのです。
さらに、11月に牧田から「話がある」ということで、わざわざ北上市に来るという事がありました。
飲みながら話を聞いてみると、牧田は若干お疲れモードでした。
牧田の話では、「住宅業界のことは勉強中で知らないことが多くて云々・・」という話はあるのですが・・、要はE氏のトップダウン方式と頭ごなしにガーガー言ってロボット化を目指す雰囲気にストレスがたまっているようでした。
自分(E氏)は牧田より住宅業界に通じているから従えという感じなのでしょうが、スタートして1ヶ月でこれでは先が思いやられると感じ、やはり1年後には岩手に戻って北上支店でもいいので自由にやろうと強く感じました。
そして12月・・、私はついにCホームを退社することとなりました。
Cホームには2年しか居ませんでしたが、プラスになったことはそれなりにありました。
1つは給料が破格に高く、独立する貯金ができたこと。
2つ目は、ローコストをはじめいろいろと追求する「時間」と「結果」を得られたこと。
経営面では正直言って何の勉強にもならなかったような気がします。
この2つのプラスは非常に大きなことであり、このことだけでもCホームにいた甲斐は十分あったと感じました。やはり、「ここに存在する意味がある」の姿勢で、最初から逃げ出さずにがんばって良かったと最後は思えました。
そんなこんなで・・この時期の私は、 「独立の流れ」 と 「もう一度、岩手に戻る流れ」 の2つの流れを強く感じて生活しておりました。
*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *